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京都地方裁判所 平成2年(ワ)1180号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

一  請求原因1(契約による通行地役権)について

1  請求原因1の(一)ないし(三)の事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因1の(四)及び(五)の事実について

(一)  前示当事者間に争いがない事実及び《証拠略》によると、以下の事実が認められる。

(1) 本件土地周辺の状況は別紙第二図面のとおりである。

(2) 原告会社は、セメント卸販売等を業とする株式会社であるが、原告会社土地上で原告会社建物を事務所兼倉庫として使用している。

また、その余の原告らは、当事者の表示記載の肩書地で別紙第二図面記載のとおりの場所において居住しているものである。

被告は、繊維製品卸販売等を業とする株式会社であるが、原告会社土地に隣接する被告土地及び同地上の被告建物をそれぞれ所有している。

(3) 原告会社土地及び被告土地の所在する小堀町付近一帯の土地は、もともと盆栽業者である訴外おもと屋が所有していたが、大正一四年二月二六日、三幸土地がこれを競売により取得し、昭和一二年ころ競落土地を九筆に分割して売却した。

その内で、本件に関係する四筆の土地の売却先及びその後の所有関係等は次のとおりである。

〈1〉 小堀町二番二一(原告会社土地)

昭和一二年一一月二六日吉田種吉

昭和二六年三月三一日吉沢豊三郎

昭和五四年八月二九日吉沢政一(原告会社代表取締役)

〈2〉 小堀町二番二四(被告土地)

昭和一二年一二月八日保証責任京都府信用組合連合会(農業会)

昭和二五年一月一八日京都府信用農業協同組合連合会(府信連)

昭和四五年一〇月一四日被告

〈3〉 小堀町二番九八(二番九八土地)

昭和一二年九月二〇日和田多聞

昭和三三年一二月一一日(株)山一商店

昭和四六年八月四日森本伊助

昭和五七年九月一六日被告

〈4〉 小堀町二番一〇(二番一〇土地)

昭和一二年九月九日和田多聞

昭和三五年三月一〇日(株)京都ビーエスサイクル

昭和四〇年一二月二〇日立花照男・照子

(4) 三幸土地が種吉らに右各土地を売却したところ、原告会社土地及び被告土地の東側に面して南北に走り上押小路通りに出る既存の道路が約二メートルの幅員しかない狭い道路であり、分筆土地の譲受人や近隣住民にとつてその通行に極めて不便であつたことなどから、原告会社土地及び被告土地の東側の一部を提供して、これを幅員約三・五メートルの道路に拡幅させた(本件東側道路)。

また、同じころ、二番九八土地(公道に面していない。)、二番一〇土地及び原告会社土地(種吉が営む吉田弥商店の資材の搬出入等)の使用利用の便益を図るために、被告土地のうち南側の一部(幅員約五メートル)を提供して本件通路が設けられた。その結果、二番九八土地の所有者である和田の居宅の玄関は本件通路に面して設けられ、原告会社土地上の吉田弥商店は資材の搬出入用の出入口を本件通路の東端の原告会社土地北側に設けた。

(5) 昭和一四年、被告土地上に農業会の事務所が完成した。右事務所建物の敷地は石柱とこれを結ぶ鉄棒で囲まれていたが、本件通路はその囲いの南側にあり、一般的に通行が可能な状態となつていた。

昭和一八年ころ、吉田弥商店はその建物を軍需関係の八州製作所に貸与することとなり、終戦後も引き続き同製作所が使用していた。昭和二六年に原告会社の先代の経営者である吉沢豊三郎(以下「豊三郎」という。)が種吉から原告土地建物を譲り受け、八州製作所に立退きを求めた。当初、同製作所は原告建物の東側約四分の一を返すのみであつたため、豊三郎は原告建物東側に出入口を設けて、資材の搬出入を行つた。その後、約一年間の交渉を経て、豊三郎は原告建物全体の返却を受けた。

昭和三〇年ころから昭和四七年ころまでの間、本件通路と本件東側道路の交差点付近で、消火器の使用練習等の消火訓練や地蔵盆、盆踊り等が行われたことがあつた。

昭和二二年に農業協同組合法が制定施行されたことに伴い農業会が府信連に改組されたため、昭和二五年一月一八日、被告土地建物について農業会から府信連に所有権移転登記がなされた。

(6) 昭和三六年ころから、府信連は預金獲得等外務用の自動車が増加し、昭和三〇年代後半には七、八台になつたため、本件通路の北側に西向きに並んで駐車するようになつた。また、本件通路への第三者の自動車の無断駐車が増えてきたため、府信連の自動車の駐車場を確保し、無断駐車を防ぐために、本件通路の東西端に鉄柵を設置した。鉄柵は幅約二メートル高さ約一メートルの可動式のもので、中央に「連合会に御用のない方の駐車御遠慮願います。」と記載した板が付けられていた。また、鉄柵は本件通路上に設置された金具と鎖により固定されていた。府信連は、本件通路を完全に閉鎖することも考えていたが、原告会社のトラックや二番九八土地の住民の通行を考え、完全に閉鎖することはしなかつた。鉄柵の設置については小堀町内から特に異議はなかつた。

昭和四〇年ころ、本件東側道路はアスファルト舗装されたが、本件通路は舗装されないままであつた。

(7) 昭和四二年九月、府信連は被告土地から京都駅付近へ移転し、しばらく被告建物は空き家となつていた。そのため、本件通路の管理が不十分となり、鉄柵には小堀町内会が「こどものあそびばに付諸車の駐車はご遠慮下さい」と書いたベニヤ板を掲げたりしていたが、最終的には鉄柵はさずされて通路脇に置かれていた。

昭和四五年一〇月一四日、被告(当時の商号は関東織物商事株式会社)は府信連から被告土地及び建物を買い受けた。売買に先立ち、同年八月ころ、被告と府信連は、原告会社の先代である豊三郎及び二番一〇土地の所有者である立花照男の立会いの下、被告土地と原告会社土地、二番一〇土地等との境界を確認した。その際、豊三郎らから通行権の主張はなかつた。そして、その結果として、被告は府信連から「不動産売買目的物件に関する補足説明書」と題する書面の交付を受けたが、そこには、本件通路は全幅府信連の所有地であること、昭和三七年九月ころ鉄柵を設置していたこと、南側隣接不動産所有者並びに居住者に対して車両通行の明示の承諾を与えたことはなく、何人からも通行使用料をとつた事実もないことが記載されていた。

(8) 原告会社は、原告建物へのセメントの搬入のため、本件東側道路と本件通路の両方を使用していた。搬入のためのトラックは、昭和三〇年代は四トン車、昭和四〇年代からは八トン車が中心であつたが、その日の注文量により、二トン車を使用することもあつた。本件通路を使用する際に、本件通路に府信連の自動車が駐車してある場合には、その都度府信連に行き自動車の鍵を受け取つてこれを移動させた上通行していた。

(9) 平成元年ころから、被告は、無断駐車を防止する目的で、本件通路西端に門扉を設置し、また、原告会社に対しトラックの通行をしないよう申し入れるようになつた。そのため、原告会社は、七トン以下のトラックで上押小路通りから本件東側道路を北上する経路のみにより、原告建物にセメントを搬入するようになつた。

現在、本件通路は舗装され、西端に門扉が設置され、通路両側には生け垣、植木等が置かれており、東端は原告会社の出入口がある関係で特に何も設置されていない。

本件土地周辺の状況は別紙第二図面のとおりであり、原告会社建物は、東側は通行権のある本件東側道路に面し、南側も公道であり幅員も広い上押小路通りに面している。また、その余の原告らは、別紙第二図面記載のとおりの場所において居住しており、いずれも通行権のある本件東側道路又は公道に面している。

(二)  以上の事実に基づいて、まず明示の通行地役権設定合意の有無について検討するに、これを認めるに足りる証拠はない。

原告らは、三幸土地が種吉らに土地を分譲する際に本件通路が開設されたこと、種吉は原告会社土地の北側の本件通路に面した所に出入口を設けたこと、農業会は右各事実を認識しながら被告土地を購入したこと、農業会は本件通路の北側沿いに一定間隔で石柱を設置していたこと等を指摘して、明示の通行地役権の設定合意が推認できると主張している。

しかしながら、他方、明示の通行地役権設定合意を示す書類は一切存在せず、その旨の証言等もない。また、前示認定のとおり、府信連は被告土地建物を被告に売却する際に原告会社土地所有者らに車両通行の明示の承諾を与えたことはないと説明していること、昭和三七年ころ府信連は本件通路を鉄柵により閉鎖していること、原告会社はセメント搬入のため本件東側道路も使用していたものであり、本件通路のみが唯一必要な通路ではなかつたこと、その他の原告らの住居は本件東側道路その他の公道に面しており、千本通りへ出る等日常の通行のための唯一の通路ではないことの各事実を指摘することができる。さらに、本件東側道路は原告会社土地、被告土地の他東側の複数の土地からそれぞれその一部を提供し合つて開設された道路であり、道路沿いの住民等にとつて上押小路通り等の公道へ出る等日常の通行のための唯一の通路であるのに対し、本件通路は被告土地の一部にすぎず、周辺住民の日常通行のための唯一の通路ではないし、また、本件東側道路が舗装された時にも本件通路は舗装されなかつたり、消火訓練や地蔵盆等は本件東側道路を中心に行われたこと等本件通路と本件東側道路とではその開設経過、位置、利用の状況等でかなり差異があること等の事実を総合して判断すると、原告ら指摘の事実から明示の通行地役権設定合意を推認することはできない。

(三)  次に、黙示の地役権設定合意の有無について検討するに、これも認めるに足りる証拠はない。

原告らは、相互的・交錯的な通行地役権が暗黙に設定されたと主張しているけれども、前示(二)で指摘したとおりの事実に徴すると黙示の通行地役権の設定合意を推認することも困難であり、原告らの主張は採用できない。原告会社に出入りするトラックや周辺住民の通行は、農業会、府信連及び被告の好意により黙認されていたにすぎないものであつて、通行地役権に基づくものとはいえない。

また、いわゆる相互的・交錯的な黙示の通行地役権とは、本件東側道路のように複数の土地からそれぞれその一部を提供し合つて道路が開設された場合に認められるものであつて、本件通路のように単に被告土地の一部にすぎない私道については当てはまらない議論である。

3  以上のとおりであつて、原告らの明示又は黙示の通行地役権は認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの主張は理由がない。

二  請求原因2(時効取得による通行地役権)について

民法二八三条にいう「継続」の要件をみたすためには、承役地たるべき土地の上に通路の開設があつただけでは足りず、その開設が要役地の所有者によつてなされたことを要するところ、前示一2(一)で認定したとおり、本件通路は昭和一二年ころ、三幸土地又は農業会により開設されたものであり、原告らが開設したものではないから、原告らの通行地役権の時効取得は認められない。

原告らは、昭和三七年ころ一旦府信連が鉄柵を設け閉鎖された後、原告らを含む近隣住民によつて、昭和四二年秋ころ、本件通路上の鉄製の柵が撤去され再び道路としての開設がなされたと主張しているけれども、前示のとおり府信連が鉄柵を設けたことにより本件通路の通行が全く閉鎖されたわけではない上、鉄柵を撤去したのが誰かは明らかではなく(本件通路の近くに居住している証人木村は鉄柵の存在自体記憶にないと証言している。)原告らを含む近隣住民によつて撤去されたと認めるに足りる証拠はないから、原告らの主張は採用できない。

したがつて、原告らの通行地役権の時効取得は認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの主張は理由がない。

三  請求原因3及び4(建築基準法上の道路であることの反射的利益としての通行自由権及び右自由権侵害の不法行為に基づく妨害排除請求)について

1  請求原因3(一)の事実について判断するに、《証拠略》によると、本件通路は、幅員が五メートル以上あり、建築基準法施行時である昭和二五年当時原告らを含む周辺住民一般の通行に供せられていたと認められるから、建築基準法四二条一項三号の道路に該当する。

被告は、本件通路は農業会等が会の自動車や来客の自動車の駐車場として使用していたものであり、一般の通行の用に供せられていたものではないと主張しているけれども、昭和二一年ころの航空写真や昭和四六年ころの写真から判断して、本件通路は昭和一二年ころに開設されて以来終始幅員約五メートルあり、農業会等の建物敷地の周囲に設置された石柱及び鉄棒による囲いの外側にあること、このような形状に照らすと証人木村等の周辺住民が千本通りへ出る際に一般的に利用していたとの証言は十分信用できること、さらには原告ら代理人及び被告代理人の弁護士会を通じての照会に対し京都市住宅局の担当者が建築基準法四二条一項三号の道路に該当すると判断していることなどを総合すると、本件通路は同法の道路に該当するものと認められ、被告の主張は採用できない。

2  請求原因3(二)及び4の事実について

(一)  建築基準法上の道路は、たとえ私道であつても一般人が通行の自由を有するものであつて、敷地所有者は道路内に建築物又は敷地を造成するための擁壁を建築することを禁止される等の私権行使の制限を受ける。そして、このような建築基準法上の規制は公法上の規制であり、一般人の通行の自由は、その反射的利益であつて私法上の権利ではないけれども、その通行が日常生活上必須の手段となつている場合には、その私道の通行に対する妨害から私法上も保護されるべき法的利益たり得るものというべき、不法行為にもとづく妨害排除請求を行い得ると解するのが相当である。

(二)  そこで、原告らの本件通路の通行が日常生活上必須の手段となつているかどうかについて検討する。

(1) 原告会社について

原告会社は、一日に二回一二トンの大型トラックが千本通から本件通路を通つて原告会社建物にセメントを搬入したり搬出したりしていたが、被告が本件通路西側に門塀、本件通路南側境界線上にブロック塀を築造する等して原告らの本件通路の通行を妨害しているため、セメントの搬入のために本件東側道路を通行せざるを得ないが、右道路からの搬入に一二トンの大型トラックを使用することは困難であり、七トン車を一日三回使用するため、年間三六〇万円の経費増加となり、原告会社は経営の危機にさらされていると主張している。

しかしながら、右主張の根拠とする一日平均三〇トンのセメントを運んでいる事実やその結果一か月三〇万円運送経費が増加している事実を裏付ける資料は一切提出されていない。また、前示のとおり、原告会社は、従前からセメントの搬入のため本件東側道路と本件通路の両方を使用していたこと、搬入のためのトラックは、昭和三〇年代は四トン車、昭和四〇年代からは八トン車が中心であつたが、その日の注文量により、二トン車を使用することもあつたこと、一二トン車を使用するようになつたのは昭和六〇年ころからであるとうかがわれること(使用開始時期について原告会社代表者はわからないと供述しているのに対し、被告代表者は被告の自動車の駐車が少なくなつた昭和六〇年ころからであると供述している。)、原告会社代表者自身一日に取り扱う三〇トンのセメントの全てが原告建物の倉庫に搬入されるわけではないことを認めていること、本件東側道路は幅員が約三・五メートルであり七トン車の通行は可能であることなどの事実が認められる。これらの事実を総合して判断すると、原告会社主張のように、被告の通行妨害により毎月三〇万円の経費増加を招いているとは認め難いし、仮に一二トン車の使用が不可能となつたために多少の経費増加が生じていたとしても、そのために原告会社を経営危機に追い込んでいるとはおよそ認め難い。さらに、原告会社建物は、東側は本件東側道路に面し、南側は公道であり幅員も広い上押小路通りに面していること、戦後の一時期(昭和二六、七年ころ)には原告会社建物東側の出入口を使用していたこともあることなども考え併せると、原告会社において、本件通路を使用することが、日常生活上必須の手段であると認めることはできない。

(2) その他の原告らについて

その他の原告らは、長年にわたつて生活道路として本件通路を通行していたが、被告による通行妨害のため、日常生活上の支障を来していると主張しているけれども、別紙第二図面から明らかなように、大部分の原告らは本件通路からかなり離れた場所に居住しているものであるし、比較的近いところに居住している原告木村重雄、同木村きぬ等についても、その住居自体は通行可能な本件東側道路等に面しており、本件通路を通行しないで千本通りへ出るためには約三四メートル南方の上押小路通り又は約五〇メートル北方の通りを通行すれば足りるのであつて、およそ本件通路が日常生活上必須の手段であるとはいい難いし、そもそも被告が本件通路の西端に門扉を設置する等したものの昼間の歩行等は依然として可能であつて、それまでもが妨害されているとはいえない。

(三)  以上のとおりであつて、原告らにとつて本件通路は日常生活上必須の手段であり、それが被告の行為によつて奪われているとは認められない。

3  したがつて、その余の点について判断するまでもなく、原告らに本件通路の通行の自由権は認められず、その侵害の不法行為に基づく妨害排除請求も認められない。

四  結論

よつて、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡 健太郎)

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